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人狼の話です

CO文の性質と「真っぽさ」「偽っぽさ」の関係について

先日行った「どのCO文が真っぽく、もしくは偽っぽく見えるか?」というアンケートに関してのツイートをまとめた記事となります。

 

 

アンケートの結果を見るに、私たちがCO文から感じる「真っぽさ」と「偽っぽさ」には、書かれ方によって差があるよう思われます。

(厳密に統計を取ったわけではないので、データ解釈が恣意的なのはご容赦ください)

では、その差は何のために生まれるのでしょうか?

 

占い師は、開始と同時に自分の役職欄に「占い師」と書いてあることを知ります。

そこから以下のように推論を行います。

 

1.自分の役職欄に「占い師」と書かれている

2.役職欄に「占い師」と書かれている人物は、占い師という役職である

3.したがって、私は占い師という役職である

 

また「自分は占い師という役職である」ことから、以下のようにも推論できます。

 

1.私は占い師という役職である

2.占い師という役職はこの村に一人しかいない

3.したがって、この村で唯一の占い師は私である

 

ここまでの推論は、全てその占い師の視点で正しい(はず)です。

ここで、アンケートの各設問を書き直してみましょう(それぞれ上からABCとします)。

 

A:【占い師】でした(だった)

→私の役職欄には占い師と書かれていた

B:私が【占い師】です

→この村で唯一の占い師は私である

C:私は【占い師】です

→私は占い師という役職である

 

(注1:Aの解釈について

AはBCと区別するため、意図的に主語を省いてありますが、そのために解釈の幅が広がってしまいました。

なので、必ずしもこのように言い換えられるとは限りません。

しかし、今回はあくまで「こういう意図で書かれた」と理解していただければ幸いです。)

 

(注2:助詞「は」と「が」の違い

あくまで簡単な説明です。

「XはYだ」→Xについての文章

「XがYだ」→Y(もしくは「何が起きたか」)についての文章

つまりBは「占い師」について、Cは「私」について説明している文章ということになります。

詳しくはこちら:http://www.nkc.u-tokyo.ac.jp/study_info/study_info01_04_j.html%20)

 

つまり、ABCは全てその占い師の視点で正しい事実を語っていることになります。

そうであるならば、これらのCO文の間に「真っぽさ」や「偽っぽさ」の差が生まれる原因は、読み手側の解釈にあると考えることができます。

 

各CO文が前述のように読まれると仮定します。

そうすると、以下のような仮説が立てられます。

・CO文は、それが導出される段階に比例して「真っぽい」「偽っぽい」と判断される。

ちょっと分かりにくいので人狼の言葉に翻訳すると、「発言内の思考量に印象は比例する」となるでしょうか。

 

アンケートを実施するにあたって立てた仮説は、このようになります。

付け加えた条件は、発言時間やCO状況といった文脈から各CO文を独立させることを意図してのものです。

(もしそのせいで深読みしてしまった!という方がいらっしゃったら、申し訳ない……)

 

ではまず、データ解釈の基準を定めましょう。

もしこれらのCO文に印象の差がないのであれば、結果は全て33~34%となるはずです。

なので、この期待値から離れているほど「真っぽい」とか「偽っぽい」と解釈することにします。

(繰り返しますが、統計的な厳密性は求めません)

 

アンケート結果は、

・Aの「真っぽさ」は低く、「偽っぽさ」は高い

・Bの「真っぽさ」は高いが、「偽っぽさ」は期待値とほぼ同じ

・Cの「真っぽさ」は期待値とほぼ同じだが、「偽っぽさ」は低い

このように解釈できるかと思います。

少なくとも、Aがもっとも信用されにくいのは確かなようです。

 

先に立てた仮説は、少なくとも「真っぽさ」に関して正しいよう思われます。

思考量の多い順にB>C>Aと並んでいますから、私たちが「このCO文が真っぽい」と判断する基準はそこにあると言えるでしょう。

 

しかし、「偽っぽさ」となると事情が変わります。

Aがもっとも「偽っぽい」という結果は仮説に整合しますが、一番思考量の多いBの「偽っぽさ」は普通です。

しかし、AとBの中間にあるCがもっとも「偽っぽさ」が低いという結果になりました。

つまり、私たちがCO文に「偽っぽさ」を感じる基準は思考量ではないと言えそうです。

 

ここで、判断者の情報量という点について考えてみます。

占CO者について、判断者は「占COをした人物」したがって「占い師の可能性のある人物」であるということしかわかりません。

ABCは全て占い師にとって事実ですが、判断者からすると未確定情報ですね。

ABCのCO文と、判断者の持っている情報との差を調べてみましょう。

 

他人のログイン画面を見ることはできませんから、その役職欄の情報について判断者は一切確かめることができません。

その占い師「のみが」真であるかどうか、判断者が推測するためには、他のCO者についての知識が必要です。

要するに、ABのCO文は、判断者の持っている情報から「確かめる」のが難しいのです。

対してCが記述していることは、「私」が「占い師という役職である」という事実のみです。

これはその占い師を「占い師らしい」と思うかどうかで判断可能ですから、ABに比べて「確かめやすい」ですよね。

 

つまり、今回のアンケートから以下のことが言えそうです。

・私たちは、CO文の中の思考量が多いほど「真っぽい」と感じる傾向がある。

・しかし、「偽っぽい」と感じる基準には「確かめやすさ」を用いがちだ。

なんだか当たり前のことにも感じられますが、結論はこうなりました。

 

CO文の性質と「実際の」占真贋がどのような関係にあるのか、今後調べてみるのも面白いと思います。

データ取りが死ぬほど面倒そうなので、私はやりませんが。

個々の経験が判断に影響を与えるのも確かですから、それと今回の結果を突き合わせれば、また別の結論が得られるかもしれませんね。

 

個人的には大変面白い経験となりました。

この知見を、今後の人狼活動に活かせればと思います。

改めまして、今回協力してくださった皆様に厚く御礼申し上げます。

ありがとうございました。